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津地方裁判所 昭和31年(タ)1号 判決 1956年10月29日

主文

原告と被告塩田忠とを離婚する。

原告と被告塩田忠との間に出生した長男塩田太、二男塩田治二、長女塩田貞子の親権者を被告塩田忠と指定する。

被告塩田忠は原告に対し金五十万円を支払え。

被告両名は原告に対し連帯して金五十万円を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分しその一を原告の負担としその余を被告等の連帯負担とする。

この判決は金員支払の部分に限り仮りに執行することができる。

この判決は被告塩田忠において金百万円被告塩田吉雄において金五十万円の保証を供するときは仮執行を免れることができる。

事実

(省略)

理由

原告本人尋問の結果によれば原告と被告塩田忠は昭和十四年二月六日婚姻したことが認められ、この二人の間に昭和十五年二月二十日長男太、昭和十六年七月九日二男治二、昭和十八年四月二十一日長女貞子が出生したことは本件当事者間において争いのないところであるから当裁判所はこれを真実と認める。

まず原告主張の離婚原因たる被告塩田忠の不貞行為について案ずるに、証人谷口昌久、同河野敏夫、同奥山秀太郎の各証言及び原告本人尋問の結果を総合すると、同被告は昭和三十年二月頃から、津市岩田町の料亭両口屋において女中をしていた訴外山本としと情交関係を結ぶようになり、昭和三十年二月末頃津市新東町八百三十一番地河野敏夫方に一室を借受けてそこに同女を囲い、毎晩通つていたこと、同被告は父被告塩田吉雄と相謀つて昭和三十年三月九日同女を津市阿漕津興千八十四番地の原告と被告塩田忠とが居住していた本宅に引入れたこと、そしてそのため原告は津市大字半田青谷の別宅(被告吉雄夫婦の居宅)へ引移るの止むなきに至つたこと、右山本としは右阿漕の本宅に一週間程居たが再び前記河野方へ戻り、その後まもなく被告塩田忠は津市柳山に家を借りてそこへ同女を囲つて通つていたこと、斯様な状態であつたので原告はついに居堪れずして昭和三十年四月十二日実家へ戻つたが、その後も被告塩田忠は右山本としとの関係を続けていたことがそれぞれ認められる。しからば被告塩田忠が不貞行為をなしたものであることは明らかであるから、原告の離婚の請求は理由があるというべきである。よつて原告の本訴離婚の請求は正当としてこれを認容すべきものとする。

よつて原告の離婚に伴う財産分与の請求について案ずるに、証人奥山秀太郎の証言及び原告並びに被告塩田吉雄各本人尋問の結果を総合すると、原告が被告塩田忠と婚姻した昭和十四年二月六日当時、被告方は木毛製造販売業を営み生活は裕福であつたが、すでに被告忠は女道楽を始めて居り、そのため被告塩田吉雄及び母亡なかが心配して早く忠に世帯を持たせることを考え、当時満十四歳の若年で右なかの血縁に当る原告が妻として迎えられたこと、その後被告方の家業は順調で戦争中は相当盛大であつたが、昭和十八、九年頃から被告等は徴用となり、被告塩田吉雄は埼玉県深谷航空株式会社に勤務することとなつたため、昭和二十年には宅地工場の全部を人手に渡して了つたが、昭和二十一年頃から精米業をしばらく経営した後再び木毛業を開業し、一家の努力の甲斐あつて、漸次機械設備を購入し、工場宅地も買戻して事業を拡張し、家運は原告の婚姻当時をしのぐ盛況となつたこと、被告方の純益収入は一時は一カ月金十五万円位あつたが、昭和三十年四月頃はやや減少して年間約金六十万円の純益があつたこと、その当時被告方には約金百万円の預金があつたこと、その他被告方においては現在工場設備として長男太一名義で円盤二台、皮剥機三台、シンガーミシン十台、チドリミシン三台、丸鋸一台を、被告塩田忠名義でオートバイ及びオート三輪各一台を、被告塩田吉雄名義で津市阿漕町に宅地約百六、七十坪を、長男太一名義で同所に宅地約百六、七十坪を(いずれも時価坪当り金千五百円ないし金二千円)、又右同所に長男太一名義で工場三十坪、納屋五棟建坪五十坪(納屋乾燥場として各二棟を、住宅として一棟を使用)を、二男治二名義で津市大字半田青谷に宅地三百六十坪住宅二棟建坪五十坪を、それぞれ所有していることが認められる。しかしてこれらの資産収入はもとより被告塩田吉雄の発明(特殊木毛製造機等の新案特許)及びその事業手腕に負うものが大であることは明らかであるが、又一面被告塩田忠は一人息子として育つたせいか、とかく我儘で原告との婚姻後も屡々女道楽をなして家業に専心せず、よつて原告は満十四歳の若年で嫁いで以来約十六年有余、生来の勝気のため時には家族と衝突することもあつたが、その間専心舅姑に仕え三人の子供の養育と家政の担当に尽くし、殊に昭和十六年原告夫婦が財産の管理及び家計を被告吉雄より引継いだ後は、とかく気儘な被告塩田明を助けて家業に専心し、一時衰えた家運を挽回して今日の隆盛に至らしめたことが認められる。この原告の内助の功は、相当高く評価さるべきものであることは明らかである。右認定に反する証人奥山とみゑの証言及び被告塩田吉雄本人尋問の結果は措信し難い。さらに前記各証拠によれば右資産の所有名義については、被告塩田忠は財産を蕩尽する虞もあるので被告家の財産を保全する意味で、専ら二人の男の子と被告塩田吉雄名義にせられ、被告忠名義のものは僅少であるが、実質上は被告塩田一雄及び被告塩田忠の財産であり、又前記認定の年間約金六十万円の純収益を得る被告方の事業が被告塩田忠名義であること、これに反し原告は無資産で離婚後は自活してゆく力もないことがそれぞれ認められる。以上諸般の事情を考え併せれば、被告忠は原告に対し財産分与として金五十万円を支払う義務があるものというべきである。よつて原告の本件財産分与の請求は金五十万円の限度において正当としてこれを認容すべきものとする。

つぎに原告主張の被告両名の共同不法行為の点について案ずるに、証人谷口昌久、同奥山秀太郎の各証言及び原告本人尋問の結果を総合すると、被告塩田吉雄は前記被告塩田忠の右山本としとの関係を知るや、敢えてこれを阻止することなく、かえつて一人息子である被告伊藤奨を盲愛する余りが、同被告が右山本としとの関係に至極満足しているのを確めた末、妻たる原告を全く無視して、情婦を外に囲つていては不経済であるという理由の下に、原告の諸道具を原告の実家及び被告塩田吉雄夫婦の居住する津市大字半田青谷の別宅に運んで原告を津市阿漕の本宅より右青谷の別宅へ移らせ、その後に右山本としを引入れて被告塩田忠と同棲させたこと、そのため原告はその精神的打撃甚しく、その后山本としが右阿漕の本宅を去つたので一旦は津市阿漕の本宅に戻つたが、その後も被告塩田忠が右山本としと手を切らず依然として同女を他に囲つて情交関係を継続していたのでついに原告はその精神的苦痛に堪えかね昭和三十年四月十二日実家田宮弘方に身を寄せるに至つたことが認められる。右認定に反する証人河野敏夫、同奥山とみゑの各証言及び被告塩田吉雄本人尋問の結果は措信し難い。しからば被告塩田忠の不貞行為は同被告が被告塩田吉雄と相謀つてなした共同不法行為であるというべきであるから、被告両名は原告に対し右不法行為によつて原告が蒙つた精神的苦痛につき、損害賠償として相当の慰藉料を支払うべき義務があるものといわなければならない。

よつて右慰藉料の額について案ずるに、被告塩田忠の不貞行為は前記認定のとおり被告両名の妻たる原告の地位を全く奴隷視し、その人間性を無視した誤つた女性観、結婚観に基因するものであり、その犠牲となつた原告は十六年間の内助の功も水泡に帰し、被告塩田忠及びその最愛の子と別れ、今後淋しく独身生活を続けなければならなくなつたその心情を思えば、原告が被告等の右不法行為によつて蒙つた精神的苦痛は甚大なるものがあるというべきである。この事実と前記認定の原、被告等の資産、生活状態等を総合して考え併せれば、原告が蒙つた右精神的苦痛は被告両名から連帯して金五十万円の支払を受けることによつて慰藉せらるべきものと思料する。よつて原告の本件慰藉料の請求は被告両名に対して連帯して金五十万円の支払を請求する限度において正当としてこれを認容すべきものとする。

最後に、原告と被告塩田忠との間の未成年の子、長男太一二男治二、長女貞子の親権者の指定について案ずるに、証人伊藤太一の証言によれば、右三名の子供は現在被告塩田忠の手で養育せられており、二男治二は原告と共に生活することを希望しないことが認められ、又原告と被告塩田忠との今後の生活状態、及び右三人の子供の年齢等を総合して考えれば、右三名の子供は今後被告塩田忠の監護養育に服せしむることが妥当であると思料せらる。よつて右未成年の子三名の親権者を被告塩田忠と指定する。

以上の理由により、原告の本訴請求中、被告塩田忠との間の離婚を請求する部分、被告塩田忠に対して財産分与として金五十万円を請求する部分、及び被告両名に対して連帯して慰藉料金五十万円の支払を請求する部分は、いずれもこれを正当として認容すべきも、その余の部分は失当としてこれを棄却すべきものとし、又原告と被告塩田忠との間の未成年の子太一、治二、貞子の親権者を被告塩田忠と指定すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条本文、第九十三条第一項但書を、仮執行の宣言及び仮執行を免るることを得べきことの宣言につき同法第百九十六条をそれぞれ適用したうえ主文のとおり判決する。

(裁判官 松本重美 西川豊長 喜多佐久次)

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